責任

責任とは感じるものであり、取るものではない。

肉体の優劣と精神の優劣

人種にせよ性別にせよ、肉体能力の差は簡単に認めるのに、精神力や知力の差は絶対に認めない傾向があるが、なぜなのだろう。

おそらく根底に精神肉体の二元論があり、肉体より精神のほうを上に見ているからだろう。だから肉体の差は簡単に認めるが、精神の差はなかなか認められず、タブーとなる傾向がある。

肉体より精神のほうが偉い、という発想が根本的におかしい。
根底に肉体侮蔑がある。
肉体vs精神の二元論がまずおかしい。肉体と精神は実は同一のものであり、お互いに食い込み干渉しあう存在である。

アメリカのアドリブ

前から不思議なのだが、アメリカのミュージシャンはなぜ原曲を変に変えて歌うのだろう。アドリブはわかるけど、もともとはいい曲なのに、歌手が勝手にメロディーを変えるので、どうしようもない駄曲に転落する、ということがよくある。

どうしても原曲を捻じ曲げないといけない、自分の個性を出さないといけない、という強迫観念に囚われているのだろうか。そんな個性より、原曲のほうが輝いているということもあるのに。

とにかく自己主張しなければ生き残れないという社会背景が背後にあるのかもしれない。そういう自己主張こそ均一的であり、平凡であることもあるのに。

性差の日本史展

国立歴史民俗博物館の性差の日本史展、観に行ってきた。かつての娼家をそのまま再現したものとか、(たぶん)実際に使ったシミだらけの月経帯など、見ごたえがあった。しかし、よくわからなかったところも。

機を織っている埴輪がいて、これで弥生時代の男女の差とか論じていたのだが、埴輪の男女ってどうやって見分けるんだろう。ちょっと見た限りでは、すべて同じに見えた。

機を織っていたから女性なのか。だったら、なぜ機を織るのがなぜ女性と言えるのか、という素朴な疑問もわいてくる。やはり目利きには男女の違いがわかるのか。

これは後の時代の絵も同じで、あまりに絵が小さすぎ、色が剥げすぎているので、描かれているのが男なのか女なのか、僕にはまったくわからなかった。

あと、この埴輪になった人の性自認はどうなってるのか、などと戯れに考えてみた。本人は意外にも自分が男だとか、無性だとか、Xだとか思っていたのかもしれない。


ご指摘を受けた。髪を後ろで大きく髷を結っているから女性だろうと言われているそうだ。
たぶん正しいのだろう。しかし、ジェンダー?を問う場で、髪型で性別を判断するのは不合理ではないか。古代にもフォークやヘビメタが流行っていて、男の長髪が多かったのかもしれない。

学芸員さんも「……だということです」と言っているので、この辺りは確かなエビデンスはないのでは。一緒に見ている和田彩花さんも「なぜ女性だとわかるんですか」と聞いていたので、素人なら疑問に思うことかと。僕が観に行った時も、同じことを観客の女性が呟いていた。

無名のバロック作曲家を発見




なんだこれは。
ライナーという初めて聞くバロックの作曲家だけど、この高雅な悲哀は何なんだ。あたかも黄昏に染まる古城の中を彷徨うような。素晴らしい。

このライナーという作曲家は検索しても情報が全くないのだがなんだろう?こんな素晴らしい作曲家が隠されていたとは。

どうやら18世紀ころのイタリアの作曲家で、名前のほかはほとんどわかっていないようだ。残された楽譜も相当傷んでいると。

どうやらライナーのアルバムは一つしかなく、しかもそれは今日ユーチューブにアップされたようだ。何というタイミング、、、

徳川埋蔵金の行方

徳川埋蔵金の行方。隠す者の心理として、いつでも掘り返せるところに隠す。だからわざわざ赤城山に隠したりはしない。江戸城に隠したのだという説が面白い。真偽は別にして、人間の心理を考えるというのは実は斬新では。

江戸城の蔵から消えた金塊は莫大な量にのぼり、それをわざわざ上州まで持っていたら目立ちすぎる、隠し通せるわけがないという反論も面白い。もっとも、隠された量が想定よりもはるかに少なかったということも考えられるのだが。

子供の失踪

子供が失踪したり殺されたりすると、たいていはまず両親が疑われるんだな。そして殆どはその推測は外れる。誰かこの現象を心理的に分析してほしい。

去年の山梨のキャンプ場での女児失踪事件が典型か。母親が事件後に髪を染めたから母親が怪しいなんて、難癖すぎる。たぶん「子供の失踪を悲しむ親の理想像」がまず心の中にあって、それから少しでも外れたら許せないのだろう。

ミャンマーの鉄道

やはり下川裕治さんの描くミャンマーの鉄道は面白い。

ミャンマー国鉄の人を含め、ミャンマーにどれほどの鉄道網があるのか誰一人把握しておらず、地元の人も知らない。そしてこの瞬間にも、どこか地の果てでボコボコ新しい鉄道が建設されている。どことも接続しない、孤立した鉄道路線もある。

結局、ミャンマーの鉄道網の全貌を知るものは永遠に現れない。もはや、カフカの不条理の世界だ。

進歩史観 vs 退歩史観

人類はバカになり続けているのか 知性のピークは2000~6000年前説

これはありうると思う。そもそも人類も文明も進化し続けていくという進歩的史観がうさんくさい。太古はむしろ逆で、人類は衰退しているという退歩史観のほうが主流だったようだ。

アダムとイブが楽園から追放されたという話がそれだろう。むしろ退歩史観のほうが人間にとっては自然なのかもしれない。その証拠に多くの人が「昔はよかった、昔の人は偉かった」と呟いている。

「すばらしい新世界」とモソ族

「すばらしい新世界」、一応読了。いわゆるディストピアものだが、僕が「世界の性習俗」で書いた、結婚のない民族モソ族に似ていると思った。

モソ族には結婚や家庭がなく、誰が自分の父母かわからないことも多い。あるのは夜這いを基本とする自由恋愛で、父や母は「猥褻語」とされ、タブーとされる。これら全ては、「すばらしい新世界」で描かれている未来社会と同じだ。

だとしたら、「すばらしい新世界」に描かれている未来社会は本当にディストピアなのか、という問題が現れる。