セクシュアリティと神学論争

デミセクシュアル、リスロマンチック、デミロマンチック、ソフィアロマンチックとか新語を最近聞いたが、どこまで細分化するんだろう。

性的指向というものは、人間と同じ数だけある。つまり、今世界には80億の性的指向がある。
いや、一人の人間の中で性的指向が変わることも混在することもあるから、実際には800億くらいはあるだろう。これらをすべて把握して記憶するのは、人類には不可能だ。

つまり、細分化を重ねると、カテゴライズは無意味になるということ。
不思議の国のアリスだったか、完璧な地図を作ろうとするあまり、ついには町と同じ大きさの地図を作ってしまう話があったが、それに似てる。

よく考えると、カテゴライズ、つまり形を作って人をそこに押し込めることこそ、最も差別的だと言えなくもない。そのカテゴリーから必ず外れる人が出てくるからだ。そこに人を押し込めるには、必ず強制力という暴力が必要になる。

つまり、最終的には「私は私だ」と言うしかない。それが一番リベラルで民主的である。
しかしそれは、結局何も言ってないのと同じではないか。

現代のセクシュアリティ論議は、神学論争に近づいていると思う。どんどん抽象化し、無意味化し、非現実化している。

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