価値観は絶対にアップデートするな
最近よく言われる「価値観のアップデート」という価値観には反対する。アップデートした結果、よくなるという保証はどこにもない。根源には、大した根拠のない進歩的歴史観があるのだろう。
しかし、進歩的史観が正しいという保証はない。人間にとって、進歩的史観というのはもともと異常な思想であって、本来は退歩的歴史観が一般的であった。いわゆる「昔はよかった」というやつである。
旧約聖書にも「かつて人間は楽園にいたが、神の怒りに触れたために楽園から追放された」という話が出てくる。多くの人が「昔はよかった」と懐かしむのも、人間は文明とともに退化し堕落しているという観念から来ている。むしろ、こちらのほうが人間の心情として普通なのだ。
人間の非合理的な側面を見つめない「価値観のアップデート」は間違いなく失敗する。共産主義は人間の私有欲という本能を黙殺したために破滅した。
しかし、進歩的史観が正しいという保証はない。人間にとって、進歩的史観というのはもともと異常な思想であって、本来は退歩的歴史観が一般的であった。いわゆる「昔はよかった」というやつである。
旧約聖書にも「かつて人間は楽園にいたが、神の怒りに触れたために楽園から追放された」という話が出てくる。多くの人が「昔はよかった」と懐かしむのも、人間は文明とともに退化し堕落しているという観念から来ている。むしろ、こちらのほうが人間の心情として普通なのだ。
人間の非合理的な側面を見つめない「価値観のアップデート」は間違いなく失敗する。共産主義は人間の私有欲という本能を黙殺したために破滅した。
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