アメリカのアドリブ

前から不思議なのだが、アメリカのミュージシャンはなぜ原曲を変に変えて歌うのだろう。アドリブはわかるけど、もともとはいい曲なのに、歌手が勝手にメロディーを変えるので、どうしようもない駄曲に転落する、ということがよくある。

どうしても原曲を捻じ曲げないといけない、自分の個性を出さないといけない、という強迫観念に囚われているのだろうか。そんな個性より、原曲のほうが輝いているということもあるのに。

とにかく自己主張しなければ生き残れないという社会背景が背後にあるのかもしれない。そういう自己主張こそ均一的であり、平凡であることもあるのに。
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性差の日本史展

国立歴史民俗博物館の性差の日本史展、観に行ってきた。かつての娼家をそのまま再現したものとか、(たぶん)実際に使ったシミだらけの月経帯など、見ごたえがあった。しかし、よくわからなかったところも。

機を織っている埴輪がいて、これで弥生時代の男女の差とか論じていたのだが、埴輪の男女ってどうやって見分けるんだろう。ちょっと見た限りでは、すべて同じに見えた。

機を織っていたから女性なのか。だったら、なぜ機を織るのがなぜ女性と言えるのか、という素朴な疑問もわいてくる。やはり目利きには男女の違いがわかるのか。

これは後の時代の絵も同じで、あまりに絵が小さすぎ、色が剥げすぎているので、描かれているのが男なのか女なのか、僕にはまったくわからなかった。

あと、この埴輪になった人の性自認はどうなってるのか、などと戯れに考えてみた。本人は意外にも自分が男だとか、無性だとか、Xだとか思っていたのかもしれない。


ご指摘を受けた。髪を後ろで大きく髷を結っているから女性だろうと言われているそうだ。
たぶん正しいのだろう。しかし、ジェンダー?を問う場で、髪型で性別を判断するのは不合理ではないか。古代にもフォークやヘビメタが流行っていて、男の長髪が多かったのかもしれない。

学芸員さんも「……だということです」と言っているので、この辺りは確かなエビデンスはないのでは。一緒に見ている和田彩花さんも「なぜ女性だとわかるんですか」と聞いていたので、素人なら疑問に思うことかと。僕が観に行った時も、同じことを観客の女性が呟いていた。