徳川埋蔵金のドキュメンタリーを見た。前から思っているが、埋蔵金の世界は完全に狂気とオカルトの世界だ。爺さんが何か石を発掘して「ほらここに〇〇〇と文字が書いてある」としゃべるシーンには戦慄した。どう見ても、そこには文字など何もなかったからだ。
ちょっとでもひっかき傷や窪みがあると、それが埋蔵金のありかを示す文字の列に見えてくるわけ。
「かごめかごめ」に埋蔵金のありかが歌いこまれているとか、ある寺の門に書かれた漢詩が埋蔵金のありかを示す暗号なのだ、といった説もそう。埋蔵金に心を奪われると、すべてが埋蔵金を指し示すものに思えてくる。
そもそも埋蔵金を埋めた人が、なぜわざわざ金のありかを歌にしたり、寺の門に書いて宣伝するのだろう。埋めた人からしたら、簡単に見つけてほしくないのに。埋蔵金を埋めた人の心理に立ち返るべきではないだろうか。