革命

永遠に形式を破壊し続けること――
生まれた間際からその形式を破り去ること――


芸術とは、永遠に続く革命運動にほかならない。
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リルケの危機と沈黙

詩人ライナー・マリア・リルケは第一次世界大戦のころから精神的な危機に陥り、10年間ほど何も書けずに彷徨い歩ていたことがあった。

そんなある日、詩人がある古城のほとりを歩いていると、突如嵐の中から、こんな声が投げかけられたのを聞いた。

「私が声をあげたところで この天使の序列の中の 誰が聞くだろう?」

リルケは急いでこの言葉を書き留め、古城に戻り、一晩のうちに一編の詩を書き上げた。


これが有名な『ドゥイノの悲歌』の誕生の瞬間である。


僕が興味があるのは、なぜリルケが10年間も何一つ書けず、精神的な闇に堕ち込んでいたかということだ。

文学者どもの言う「実存の危機」だの「魂の苦悩」だのと言った、黴臭い美辞麗句はどうでもいい。
現代の精神病理学の観点から言って、リルケの精神と創造の危機はどのように説明できるのか、ということだ。

どこかにこのようなパトグラフィーの研究はないのだろうか?

Line

Lineがやりたくてスマホを買ったようなものだが、だんだんLineがうざくなってきた。

あの閉塞感がたまらない。喩えて言えば、暗い土管の中で二人こそこそお喋りしているような。
あと、文字を書き込む欄が異様に狭いのもいただけない。

というわけで、最近は再びメールを愛用するようになっている。

mixiが時代遅れになり、FBも廃れかけ、Lineも多分来年には完全に流行遅れになっている気がする。
なんだかんだ言って、ネットにおいて残るのは、最も原始的なメールだという気がしている。

象徴

一つだけ言えることは、人間は正直にものを書くことなどできない、ということだ。

人間が正直になれるのは、嘘を書くときだけである。

人間は本当のことを書いているとき、最も恐るべき嘘をついている。


できるだけ象徴的に、象徴そのものになること。

できる限り、この現世から離れること。

Winter Blues 2

このところ、どうもやることが上手くいかないことが多い。
だから、大人しく潜伏しておいたほうがいいのかなと思い始めている。
少なくとも、自分で働きかけると裏目に出ることが多い。
ここ最近、ただただ疲れた。

第29回 東京読書会レポート

第29回目の東京読書会のレポートをアップしました。

テーマは中勘助の『銀の匙』でした。

『怪』の連載「置き去りの日本」~第十回「チンドン屋」

今出ている『怪』Vol.40(角川書店)に、僕の連載「置き去りの日本」~第十回「チンドン屋」が掲載されています。

チンドン屋なる人種は近頃めっきり見かけなくなりましたが、彼らはいったいどこから来て、そしてどこに消えていったのか。
すでに引退したチンドン界の最長老のインタビューも交え、その歴史を解説しています。
彼らが、実は諸国を放浪する旅芸人の末裔だったこともわかりました。

よろしかったらご一読してください。


日本の滅びかかった物や人を追いかけるこの連載、すでに十回目に達しました。

そろそろ本にまとめたいなあと思っています。

1/12 東京読書会30 安部公房『砂の女』

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第30回目の読書会を開催します。
終了後、食事会もあわせて開催します。
(読書会のみの参加もOKです)

【日時・場所】 2014年1月12日(日)
・15時~17時 読書会
 ルノアール四谷店 会議室6
 
・17時~ 食事会
 福の花

【費用】
・読書会……1000円(飲み物代と部屋代込み)
・食事会……3000円程
     
【定員】 20名
 
【テーマ】
安倍公房『砂の女』

眼医者ゲーム

食器を漂白していたら、薄めた漂白剤が少し目に入った。
漂白剤の説明書きを読むと、
「失明の危険性があるので自覚症状がなくても即座に医師に相談しなさい」
と無茶苦茶なことが書いてあるので、驚いて眼医者に行ってしまった。

結果、漂白剤の影響はなし。
ついでに緑内障の検査もしてもらった。
小さなプラネタリウムのようなものを見せられて、「何か光ったらスイッチを押してください」と言われる。

時々星のようなものが煌めく。これを見落としたら緑内障と判定され、薬を飲まされてしまうので、懸命にスイッチを押し続けた。
ゲームみたいでなかなか面白いが、ものすごく神経を使う。わずか十分間なのだが。

結果、緑内障の心配もなかったようだ。

このところ

ある小説を考えている。

短いものになるだろうが、神話的なもの、どこかこの世のものではないもの。
解釈はすべて受け手に委ねられている。

今の気分がある程度落ち着いたら、少しづつ手がけていきたい。