ゴネ得

「ゴネ得」というのは変な言葉だ。ゴネたら得するのは当たり前であり、そんなに羨ましいのなら、あなたもゴネてみればいいのだ。それをやる勇気がないのなら、初めから黙っているといい。
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喪失

失うことによって、得るものもある。

横浜散策

昨日は友人の女性ライター二人と横浜へ。
「港の見える公園」に行き、港がまったく見えないことを確認しながら、元町に降りてお茶をする。
そこで時候柄、「女はみんなレズか」「山路徹はなぜもてるか」という議題について、真剣に討議する。

その後中華街でマーボー豆腐、酢豚などを食し、中華街を散策。
怪しい漢方薬屋に入り、ムカデやトカゲ、ヒルの煎じ薬を眺める。
さらに食品店に行き、ツバメの巣のジュース、朝鮮人参茶・ドリンクなどを購入した。

行動と芸術

三島由紀夫は、行動と芸術を対立させた。しかし、なんでそんなことをする必要があるのか。僕らは、行動を芸術化すればいいのだ。いや、そんなことをする必要すらないのだ。

出版業界の激変

震災以来、出版業界も激変している。

先日、ある評論家がこんな本を出していた。
サブタイトルが「日本化する世界」。
煽り文句にはこうある。
「ここまで成熟した国を作り上げて、どうして批判的になってしまうのでしょうか。21世紀、日本は世界のモデルになるでしょう」。

もちろん、この本は3.11以前に企画され、書かれたのだろう。
しかし、いま見ると痛々しいばかりだ。

「日本化する世界」というが、世界中で大津波やレベル7の原発事故が起こったらえらいことだし、世界はもはや、日本を見習おうなどとはしないだろう。
むしろ、「日本のように惨めな状況にならないように……」と反面教師にされてしまうに違いない。

つまり、この震災は、僕らの視座そのものを変えてしまったのだ。

子供

子供は、愛されることが仕事なのだ。

守る

守るためには、手放すことだ。

三島由紀夫

久々に三島由紀夫を読む。

三島は、完成された一つの宇宙である。
その向こうには、何もない。
しかし、僕はその向こうを見たいのだ。行きたいのだ。

人はいなくとも、花はひとり咲く。

民俗学とオタク

学者という人種は本質的にオタクだと思うが、民俗学ほどオタクに向いている学問はないだろう。
なにしろ、「ひも」というテーマを一生研究し、本にしてしまう人がいるのだから。
到底、僕には無理である。
僕には向いていない。