フィギュアスケートの謀略

ブログにフィギュアスケートのことをちょっと書いたら、「浅田真央は国際的な陰謀により貶められている」と主張するサイトに、勝手にリンクを貼られた。別に真央のことは書いてないのに。たかがフィギュアごときに、国際的陰謀を透視するこの感性、どうなってるんだ。
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フィギュアスケートの保守性

フィギュアスケートは、とても保守的なスポーツである。

それは、男女ペアの演技を見ればわかる。
ここでは、常に男が追い、女が追われる。
男は守り、女は守られる存在だ。

フェミニストが怒りださないのが不思議なほど、古典的なジェンダーに則った競技なのだ。

さらに不思議なのが、演技しているのが白人と東洋人ばかりで、黒人の影すら見当たらないことだ。
これには、何か隠された秘密があるのだろうか。

人毛醤油の発明者は日本人

と学会の山本弘さんに教えていただきましたが、今話題の「人毛醤油」の発明者は日本人だそうです。

<毛髪研究の大家・大門一夫さんは、戦時中から戦後にかけての食糧不足のおり、毛屑から、代用しょうゆを作ったという。
 その作り方は
① 毛をよく洗って、10%の塩酸の中に入れ、24時間ほど煮沸する。
② ①でできたものをろ過し、苛性ソーダで中和させる。
 今のしょうゆとほとんど味がかわらなかったという。>
http://www.kachispo.com/k/1412/

だとしたら、日本人の偉大なる発明を、中国人がまたもやパクッたという構図なわけです。
日本の麗しい伝統である人毛醤油、ぜひご家庭でも取り入れてみてはいかがでしょうか。

媚薬

愛情に勝る媚薬はない。

法律

法律は、破ることに味わいがある。

匿名の時代は終わった

インターネットで、匿名性が持てはやされる時代は過ぎ去った。

これからは、実名が重視され、実名で活動する人間以外は相手にされなくなるだろう。

大きな家族の物語

「トイレの神様」を通して聴いたが、特に泣きはしなかった。ただ、植村花菜 の声は深みがあって、ふくよかで、素晴らしい。昔から、日本では便所には「便所神」がいると言われていた。「おばあちゃん」が言っていたのはこのことだろう。民俗学的に見て、意味のある歌かもしれない。

しかし、ちょっと前に「大きなのっぽの古時計」がヒットして、今度は「トイレの神様」か。今の日本人は、おじいさんやおばあさんなど、大きな家族の物語に飢えているのかもしれない。だとしたら、今度ヒットするとしたら、それは「ひいじいさん」「ひいばあさん」の素晴らしさを切々と歌った歌だろう。

あるいは、「いとこ同士は鴨の味」と昔から言うから、いとこと結婚してよかったとか、気持ちいいとか、アツアツだとかいった歌が。

悪名は無名に勝る

アマゾンのブックレビューで酷評される本は売れる――という法則があるらしい。
水嶋某の処女作を巡る騒動を見ていると、この法則が正しいことが分かる。

これからの物書きがやるべき事は、アマゾンのブックレビューを徹底的に研究することではないだろうか。
どんな本がネットユーザーに嫌われるかを調べ、出来る限り彼らに憎まれるような本を書く。
そうすると、その本は笑ってしまうほど売れる。
半分真面目に、そんなことを考えている。

ネット世論などには、何の影響力もないのである。

夜這いを否定する人々

mixiの民俗学のコミュ二ティーを見て、驚いた。

夜這いという制度に、現代の価値観から不快さを感じ、夜這いなんてなかったんだとか言っている人がチラホラいる。
あるいは、汚らわしく不快だからそんな話はするなとか。

まるで、南京事件否定論者を見ているようだ。
いくら、当事者が「あったんだ」と言っても、その頃生まれてもいない若者が「そんなのあるわけないだろ」と否定する構図が。

しかし、現代の価値観に照らし合わせて、文化や歴史を断罪する人って、やはりいるんだな。
文化人類学的な価値観が、まだ世の中に浸透していないのだろう。

こういう人々がいると、僕はかえってファイトが湧いてくる。
『怪』の連載で夜這い村のルポを書いてよかったと思う。

猫料理

猫の料理は中国にあるし、日本でも沖縄では薬食いされていた。
中華の最高級料理である満漢全席には「猫の腸の煮込み」なる一品もある。
戦時中の食糧難の時、日本の本土でも野良猫が捕まえられて料理されていたという。
猫肉は、犬に比べてあまりおいしくないらしい。

わが国では、ペットの名前で一番多いのが食べ物の名前である(マロンだとかチョコだとか)。
つまり、多くの人が、ペットを心の奥底で食べたいと思っているのだろう。
食べることと、愛することは一つである。「食べちゃいたいほど好き」という言葉もある。
最近、猫が鍋の中で寝ている「猫鍋」なるものが人気だが、これも、みんな深層意識で猫を食してみたいと思っている証だろう。