東京新聞に載ってます

今日の東京新聞の「'08WIDE」という欄で、僕がインタビューを受けています。奇祭についての記事です。

「ジャランポン」「水止舞」「悪態祭り」などが紹介されているのですが、それとともに僕が奇祭全体について解説しています。

「奇祭の魅力は、自分の常識を疑い、世界の意味不明さを感じることだ。それはカオスの世界なのだ」
などとなかなか素敵なことを言っていますので、見てみてください。
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「SAPIO」に「世界の奇祭・奇習」を掲載

今出ている「SAPIO」(小学館)の6月11日号に、「世界の奇祭・奇習」という記事を執筆しました。3ページです。


・キリストのまねをして本当に釘で手足を十字架に打たれるグッドフライデー(フィリピン)

・石を本気で投げ合って戦い、負傷者続出、略奪などなんでもありの「石投げ祭り」(ペルー)

・ペヨーテ(幻覚サボテン)の幻覚により、老若男女の秩序が全て逆転するペヨーテ狩り(メキシコ)

・全裸のサドゥー(行者)が数百万人も歩きまわるクンブメーラ(インド)


……などについて書いています。
僕の新機軸を打ち出す記事かと思いますので、ぜひご覧ください。

議論に勝つ方法

議論に必ず勝つ方法が、一つある。

まず、総論で負けそうになったら、各論に逃げる。
各論で負けそうになったら、今度は総論に逃げる。

これを延々と繰り返せば、どんな議論でも勝つことができる。

小さな嘘は、卑劣とみなされて軽蔑される。

大きな嘘は、芸術とみなされて絶賛される。

「神輿の上に乗ってはいけない」という規則はどこにもない

 今年、三社祭の神輿の宮出しが中止になりました。長い間神輿の担ぎ棒に乗る連中が絶えず、数年前には見事に担い棒が折れてしまったので、今年はとうとう神輿は出さないぜバーロー、という強硬手段に出たようです。
 主催者によれば、
「神輿は神の乗り物であり、それを土足で踏みつけるのは神への冒涜である。許せない」
ということらしいです。

 ところが本来、「みこしに乗ってはいけない」という神道の規則は、どこにもないようです。
 だいたい、神道には経典がありません。
 イスラム教ならコーランというれっきとした経典があり、そこに「豚は食べたらあきまへんで」ときっちり書かれているので、これを根拠に豚肉を禁じることができる。
 しかし神道の場合「神輿に乗ってはいけない」とどこにも書かれていないので、本来禁止しようがないんですよね。
 だいたい三社祭自体、今まで神輿の上に人が乗るのをずっと黙認してきて、それが一種の「伝統」になっていたのです。いまさら何でこんなことを言うのでしょうか。
 そもそも、日本中の祭りを見ていると、神輿の上に人が乗っているのは頻繁に見る光景です。あれはいったいなんなのか。日本人は、各地で神を冒涜しまくっている民族なのでしょうか。
 また、神輿に乗るどころか、神輿を地面にたたきつけたり、火であぶったり、崖から突き落としたりする「神事」も存在するのに、いまさら「神輿の上に乗るなや」はないでしょう。だいたいこういう土地では、「神輿を破壊すれば破壊するほど神が喜ぶ」と考えられているものです。

 三社祭の神輿の宮出しが中止されたのは、「神に対する冒涜」という神学的な理由ではなくて、警察の暴力団対策です。つまり、神輿を担ぎたがる方々にヤクザ関係の皆様がいらっしゃって、それを排除しようとする警察権力の戦いなんですよね。そこに、山口組の東京進出に対抗する住吉会の戦闘、という極めて仁義なき素敵な戦いの構図もあります。祭りにはテキヤが付き物であることからわかるように、祭りは常にヤクザたちの影に付きまとわれています。
だいたい、三社祭の担ぎ手集団の代表のなんと七割が暴力団員という事実も判明しているのです。
担ぎ棒に乗るために組に10万円払ったという報道もあり、祭り自体が暴力団の資金源になっています。

問題は宗教的なものではなく、極めて政治的=やくざ的=物質的なもののようです。

スザンヌでも使える!

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今日電車の中で見て、とても感動した広告。





携帯で見れるゼンリンの地図の広告らしいのだが、



「スザンヌでも使える!」



というすさまじいコピー。



これは要するに「×××でも使える!」ということなんだろうが、「×××」という言葉が何かのコードに引っかかるので、同じ意味でしかもなぜかコードに引っかからない、今大人気の×××タレントである「スザンヌ」の名前を借りてきたのだろう。



×××が何かについては、僕もよくわからないので、あなたが心に思い浮かべる、何かマイナスのイメージを醸し出す言葉を、ご自由に入れていただきたい。



それにしても、このすさまじいコピーの横で、能天気に笑い狂うスザンヌちゃんのイノセントな微笑が神々しく、輝かしささえ感じた。



近来まれに見る、広告の傑作だと思う。