「奇祭写真家」の誕生
「杉岡さんって、写真の勉強をされてたんですか?」
ある編集者が、いきなり僕にこう聞いてきた。
ちょうど、僕が出したばかりの『珍祭・奇祭きてれつガイド 日本トンデモ祭』を見せていたときのことだ。
はじめは、
「お世辞のうまい人だなあ」
くらいにしか思わなかったのだが、その後、同じ事を何人もの人に言われたので、これが決してお世辞ではないことに気づいた。
もちろん、僕は写真学校などには通ったことはない。
カメラを買い、本能のおもむくままに撮りまくっているだけだ。
それが、人から見て「うまい」と言われるようになったのは、どうしてだろう。
実は、祭りの世界には、その筋では誰でも知っている有名なカメラマンがいる(仮にここで「H氏」としておく)。
しかし、別の編集者は、こう言った。
「私は祭りの記事を作るために、巨匠のHさんのところへ行って、写真を借りに行きました。でも、はっきり言っておきますが、Hさんの写真より、杉岡さんの写真のほうがはるかにいいです」と。
祭りの写真を撮るのは、大変な作業だ。
祭りにはいつも多くのギャラリーがいる。しかも、どんなマイナーな祭りでも、カメラを抱えたアマチュアのカメラオヤジだけはわんさかいるのだ。
祭りの写真を撮るということは、その人ごみの中に揉まれ、とにかく前に出て、シャッターを切ることだ。
遠慮していたら、無神経なカメラオヤジに視界をさえぎられ、おいしいシーンを持っていかれてしまう。
しかも、祭りはたいてい一年に一回しかないので(すごいのになると、74年に一回という祭りもある)、ここでタイミングを逃すと「また来年」ということになる。
といっても、来年に何が起こるかはわからない。
本当に一発勝負の世界なのだ。
先ほどの編集者が、
「杉岡さんのほうがHさんより写真がうまい」
と言ったのは、僕の写真のほうが、奇祭の不思議さ・奇妙さ・おかしさを的確に捉えているからだろう。
あたり前だが、同じカメラを持っても、何に注目するか、何を愛するか、女性のタイプは何かなどで全然結果は違ってくる。
奇祭の場合、写真を撮る者のセンスが問われてくるのだ。
……と長々と書いてきたのは、
「祭りの写真を貸し出します!」
ということが言いたかったからです。
変な写真、不思議な写真、この世のものとは思えない写真もいっぱいありますので、ぜひメールでお問い合わせください。
ある編集者が、いきなり僕にこう聞いてきた。
ちょうど、僕が出したばかりの『珍祭・奇祭きてれつガイド 日本トンデモ祭』を見せていたときのことだ。
はじめは、
「お世辞のうまい人だなあ」
くらいにしか思わなかったのだが、その後、同じ事を何人もの人に言われたので、これが決してお世辞ではないことに気づいた。
もちろん、僕は写真学校などには通ったことはない。
カメラを買い、本能のおもむくままに撮りまくっているだけだ。
それが、人から見て「うまい」と言われるようになったのは、どうしてだろう。
実は、祭りの世界には、その筋では誰でも知っている有名なカメラマンがいる(仮にここで「H氏」としておく)。
しかし、別の編集者は、こう言った。
「私は祭りの記事を作るために、巨匠のHさんのところへ行って、写真を借りに行きました。でも、はっきり言っておきますが、Hさんの写真より、杉岡さんの写真のほうがはるかにいいです」と。
祭りの写真を撮るのは、大変な作業だ。
祭りにはいつも多くのギャラリーがいる。しかも、どんなマイナーな祭りでも、カメラを抱えたアマチュアのカメラオヤジだけはわんさかいるのだ。
祭りの写真を撮るということは、その人ごみの中に揉まれ、とにかく前に出て、シャッターを切ることだ。
遠慮していたら、無神経なカメラオヤジに視界をさえぎられ、おいしいシーンを持っていかれてしまう。
しかも、祭りはたいてい一年に一回しかないので(すごいのになると、74年に一回という祭りもある)、ここでタイミングを逃すと「また来年」ということになる。
といっても、来年に何が起こるかはわからない。
本当に一発勝負の世界なのだ。
先ほどの編集者が、
「杉岡さんのほうがHさんより写真がうまい」
と言ったのは、僕の写真のほうが、奇祭の不思議さ・奇妙さ・おかしさを的確に捉えているからだろう。
あたり前だが、同じカメラを持っても、何に注目するか、何を愛するか、女性のタイプは何かなどで全然結果は違ってくる。
奇祭の場合、写真を撮る者のセンスが問われてくるのだ。
……と長々と書いてきたのは、
「祭りの写真を貸し出します!」
ということが言いたかったからです。
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