20世紀初頭のある日、一人のフランスの文化人類学者が、アフリカの奥地に足を踏み入れた。
そこはまだ西洋人が一度も来訪したことがない秘境の地で、そこでこの青い目の学者は、現地人から疑われながらもしだいに理解され、歓迎され、ついにはしばらくそこで共に暮らすことになった。
ある夜、アフリカながらも夜は冷えるその奥地の村で、村人たちが焚き火を囲みながら談笑していると、ふいにそのフランス人がやって来て、ある歌を歌い始めた。
村人たちはぱたりとおしゃべりをやめ、じっとその歌に耳を傾け始めた。
フランス人がその歌を歌い終えると、現地人は感動して、口々に尋ねてきた。
「すばらしい歌だ。初めて聞いた。それはなんという歌なんだ?」
フランス人学者は、これはジプシーの民謡である「黒い瞳」という曲だと教え、ヨーロッパでは誰でも知っていて、愛されている歌だと説明した。
村人たちは、シンプルながらも哀愁に満ちたこの曲の、とりこになってしまった。
彼らはフランス人に、もう一度歌ってくれとせがみ、そしてついには、自分たちでも歌い始めた。
そして彼らは焚き火を囲み、この異国の名曲に酔いしれながら、歌いながら、一夜をすごしたのである。
出会いがあれば、別れもある。
フランス人学者は数ヵ月後、村人たちに惜しまれながら、村を去っていった。
だが、その10年後、今度はイギリスから別の文化人類学者が、この村を訪れた。
このイギリス人学者は熱心な男で、この村の伝統、風習、宗教、芸術表現などを積極的に集めていた。
ある夜、このイギリス人は村の長老を呼び、こう懇願した。
「あなた方の間で伝わる、伝統の音楽を聞かせてくれないか?」
長老は深くうなずき、おもむろに口を開いて歌い始めた。
イギリス人はそれにじっと耳を傾けていたのだが、そのうち顔色が変わり、疑惑の表情が浮かび始めた。
そしてついにはこう叫んで、長老の歌を制した。
「ちょっと待ってくれ!」
長老は歌うのをやめ、奇妙な目でイギリス人を見つめた。
「待ってくれ。私はその曲を知ってる。ジプシー民謡の『黒い瞳』だろう?ヨーロッパでは大ヒットしていて、我々はみんな知っている。そんな歌じゃなくて、あなた方の民族の間で、何百年も、何千年も伝わる歌が聞きたいんだ」
驚くのは村の長老のほうだった。彼はイギリス人の青い瞳をじっと見つめながら、こう言った。
「何を言ってるんだ。これこそ、我々の村に伝わる、何千年も前からある古い歌だ。私も子供のころからずっと歌ってきた。あなたは何か勘違いしてるんじゃないか?」
この騒ぎを聞きつけて集まって来た村人たちも、口々に、そうだ、これこそ我々の先祖の歌だ、何百年も前から歌ってきた、俺たちも子供のころから歌ってきたのだ、と言い始めた。
イギリス人は、狐につままれたような思いをした。
そして、ため息をついて夜空を仰いだ。
そこには、何千年も前から変わらぬ星たちが、残酷なまでに美しくまたたいていた。
その青い光が、異邦人の孤独な心を貫いた……。
* * * * * * *
この話は、完全に実話である。
今世紀初頭、アフリカの奥地で、このような事件が本当に起こっていたのである。
そしてこの話は、私たちが「伝統」と考えているものが、いかにもろく、いい加減なものであるかを、教えている。
さて、この話を読んで、あなたはこのアフリカの原住民たちを笑うだろうか?
「さすが野蛮人だな。おまけに無文字社会だろうから、伝承なんて口伝えしているうちに、簡単にねじ曲がってしまうのだろう。哀れな連中だ……」
と思うだろうか?
そうではない。
これとそっくりのことが、現代日本でも起こっているのである。
しかも、つい最近。
実は、あなたもこの「捏造された伝統」にだまされ、それを実行に移してしまったかも知れないのだ……。
(以下
次号)