アホネン快勝

スキーにはまったく興味がないのだが、素敵に感動的なニュースを見つけた。

ノルディックスキー世界選手権第9日は25日、ドイツのオーベルストドルフでジャンプ個人(HS137メートル、K点120メートル)を行い、今季ワールドカップ(W杯)で12勝のヤンネ・アホネン(フィンランド)がHSを越える140メートル台を2回そろえ、合計313.2点でハイレベルの激戦を制した。27歳のアホネンは世界選手権7大会目で、個人種目の金メダルは1997年大会のノーマルヒル以来2個目となる。
(Asahi.com 2005年2月26日)



ヤンネ・アホネン。
男らしい名前である。
こんな名前の選手に負けるとは、日本の未来は暗い、と言えるだろう。

しかし、聞くところによると、フィンランドでは、「アホネン」や「パーヤネン」というのは、よくある名前らしい。
「アホちゃいまんねん、パーやねん」の世界なのだ。
町中に、「アホネン」と「パーヤネン」が、堂々と闊歩しているのである。
これでよく国家が存続できるもんだ。
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ダイエットと新興宗教

ダイエットと新興宗教は似ている。
これが、僕の前からの持論である。

まず、ダイエット産業は、薔薇色の未来を利用者に描き出す。
「やせれば美しくなりますよ……」「意中の彼氏をゲットできるかも」「ステキな彼氏をゲットして、薔薇色の生活を!」

これが、新興宗教のうたい文句とそっくりなのである。
「うちの教祖を信じると幸せになりますよ……」「嫁と姑の仲もなおります」「教祖様を信じれば病気もなおり、家族円満、お金もザクザク入ってくる!」

利用者(信者)に得体の知れない食べ物や薬、壷や宝石を売りつけて儲けるところも、そっくりである。


さらに、それを実行して、本当に幸せになるかどうかわからないところも、ダイエットと宗教は似ている。

実を言うと、男というのは、やせた女性はそれほど好きではない(いろんな好みがありますが)。むしろ、豊満な女性のほうが、男に人気があったりするものである。

これは歴史的な理由があって、古来から、豊満な女性は美の象徴とされてきた。
縄文時代の女性の土偶は、たいてい太っている。ヨーロッパで女性がダイエットを始めたのはつい最近のことで、ルネサンス時代の裸体画を見ても、女性は美しく太った存在として描かれている。

インドでは、今でも美人の条件は「太っていること」である。金持ちはたいてい太っているからだ。
アフリカのある部族では、若い女性の結婚が決まると、まずその女性を「籠」の中に入れ、閉じ込めてしまう。
そして木からつるして、身動きできなくしてしまう。
その上で、朝から晩まで、籠の中の女性に、食べ物を差し入れるのだ。女性は身動きできない上に、一日中食べてばかりなので、そのうち丸々と太ってしまう。
一ヵ月後に籠から出てきた時には、ふくよかに太った美人が現れる、という寸法だ。
まるでフォアグラだが。

過度のダイエットが体に良くないのはいうまでもない。僕は、ダイエットと言うものが、「美しくなり、幸せになる」という本来の目的から離れて、どんどん自己目的化しているのを奇妙に思っている。
「拒食症」などがその典型だ。宗教にのめり込むあまり、自分の財産をすべてそこにつぎ込んで滅びていく人間と同じである。

ダイエットとは、神なき時代に現れた、エロチックな宗教である。

天才と鬼才

天才と鬼才の違いについて。


天才には二種類ある。それは、「自称天才」と「すでに死んだ人」である。

「自称天才」とはビートたけしや荒木 経惟などで、自分で勝手に「天才」と言っている間に、周囲の人も「まあしょうがないか」と言う風に、名前のいわば枕詞のようになってしまった人だ。

生きていて、才能がある人間は、決して「天才」とは呼ばれない。
彼らは、「鬼才」「奇才」と呼ばれる。

彼らは生きているので、あまりに身近すぎ、生々しすぎ、「天才」という浮世離れした名前に似つかわしくないのである。
だから彼らは「鬼才」と呼ばれ、死んだ後やっと「天才」に昇格する。

ベートーヴェン

朝起きたら、ベートーヴェンになっていた。


と言っても、ねぐせがついて髪の毛が逆立ち、頭が「ベートーヴェン風」になっていたというだけだが。

ねぐせ史上に残りそうな、壮大なねぐせだった。


しばらく鏡の前でそれを楽しんだ後、水をつけて髪の毛を整える。

たちまち、端正なショパン風のヘアスタイルになっていた。


ベートーヴェンからショパンへ。
ある朝の僕の部屋では、暁に照らされて、こんな音楽史的な事件が進行していた。