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英語のお勉強

英語のレッスンに行ってきた。
と言っても、「駅前留学」のNOVAとか、ジオスのお世話になったのではない。

喫茶店でお茶を飲んでいると、隣の席に白人女性と日本人女性が座り、いきなり英語のレッスンを始めただけだ。
僕はそれを横で、ただで聞いていたのである。

けっこう初歩的なレッスンらしい。すべてが英語の、他愛もない会話が続く。

「あなたはハンバーガーとサラダのどっちが好き?サラダのほうが健康にいいわよね」
「ファーストフードは脂肪の摂りすぎに注意しないと」
「都会と田舎では、どっちで暮らしたい?都会は便利だけど、暑いし、治安も悪くて大変よ」
「田舎は星がきれい。老後に暮らすなら、田舎ね……」

僕は彼女たちのさえずるような会話を聞きながら、つくづく思った。

早くアメリカが滅亡してくれたらなあ!
そうしたら、僕も英語を勉強できるのに。

現在の状況で英語を勉強しても、それはアメリカの世界戦略に組み込まれることしか意味しない。
それが腹立たしいのだ。
今だったら、ベトナム語かグルジア語かクメール語でも勉強しておいたほうが、はるかにましである。

ブエノスアイレス・ゼロ

たまには日記的なことも書こうか。

急に思いついて、アルゼンチン・タンゴの帝王ピアソラのCDを買いに行く。
タンゴが聞きたくなったのである。

「ブエノスアイレス・ゼロ」がやはり素晴らしい。
ブエノスアイレスの深夜を描いた曲。
街を徘徊するような、地を這うベース。飛翔するピアソラのバンドネオン。
曲全体を覆う黒い哀愁。
そしてそこから噴出する、激情、孤独、愛情……。


僕は、10代の頃はパンク少年だった。
クラッシュの「白い暴動」の破壊的なサウンドに陶酔していたものだ。

それがやがてジャズに移り、ボサノヴァ、ワーグナー、タンゴへと変わっていく。

より官能的な音を求めるようになったのだろう。
音の肉襞をかきわけ、音の子宮へ、音楽のセクシュアリティーへ……。

愛情のしたたるような音楽。
僕が求めているのは、そのような音楽かもしれない。

サッカーは政治であり愚かなものである

遅ればせながら、中国でのサッカー騒動について一言。

サッカーとは、もともと政治的なものなのである。
この競技は、戦争のとき、切り落とした敵軍の兵士の首を蹴って遊んだということから始まった、極めて血なまぐさい出自を持つものなのだ。

だからサッカーが政治と結び付けられるのは当然のことなのである。
これは世界中で同じことだ。
かつてオランダがドイツに勝ったとき、オランダ人は街に踊りこんで喜んだ。
ある男は言った。
「これで俺たちは本当に戦争に勝てた気がする」
この男は、もとレジスタンス兵士だった。

サッカーとは、政治そのものである。
これは、戦争なのだ。
僕からすると、たかが「タマ蹴り」ごときに熱狂する連中こそが、おかしい。
そして賢明なのが、タマ蹴りにも政治にも興味を持たないことである。
だいたい、サッカー場で日の丸を振り回し、君が代を歌う行為のどこが、「政治」でないというのか。

奇祭の特集記事が出ました

8月11日発売の週刊大衆増刊パパラッチ(9月11日号、双葉社)に、カラー3ページで、僕の奇祭特集が掲載されています。
かなまら祭り、つぶろさし、道祖神祭りなどの「六大性祭」を、写真入りで解説しています。
ぜひ一度、ご覧ください。

しかし、最近はこの手の記事が多い。
需要と供給の法則に乗っかって、世の中には「好き者」が多いということでしょうか。

TBSラジオに出演しました

8月5日、TBSラジオの「バツラジ」に出演しました。
パーソナリティーは宮川賢さん。
みなさん、お聞きになられたでしょうか?

この季節になると、多くなるテレビやラジオの出演依頼。
今回は、夏の変わった祭りを教えてほしいとのこと。

インパクトの強い祭りとして、8月14日の岡山の護法飛びを教える。
そして、「女の子をナンパできる祭り」として、長野県の道祖神祭りを示唆する。
しかし、この手の依頼は多いなあ。
前は、「女の下半身を熱くする祭り」だった。

そのほかは、尻振り祭り、おんだ祭り、僕の好きな祭りとして「笑い祭り」などの話をする。
宮川さんは劇団の俳優だけあって、さすがにいい声である。
しゃべりも面白い。見習わせてもらおう。

しかし、我ながら、「祭りの権威」としての地位が確立しつつあるのを感じる。
当たり前だが、祭りについて語るには、祭りに詳しいだけではだめだ。
祭りの面白さを伝える表現力、観察力、演技力が問われるのである。
そして、祭り「だけ」に詳しいのもだめで、総合的な教養も必要とされるのだ。相当大きな問題だが。

これからも、この調子で、どんどんラジオやテレビで祭りの解説やルポをしていきたいと思います。
関係者のみなさま、よろしくお願いいたします。

都会を飛び出して……

都会を飛び出して、田舎に行って来た。

田舎とはいっても、それは横浜市内のことなんだが。
都会とは、今僕が住んでいる、山手線沿線のことだ。

しかし横浜でも、北部のほうに行くと、あたりは東京と全然ちがってくる。
緑が多くなってくる。僕らの前に、醜悪な獣のように立ちふさがる、あの邪魔なビル群がない。
遠くまで見渡せる。
視界は圧倒的に晴れやかである。

東京にいると、ものが見えなくなる。
高層ビル群が、いかに僕らの視界を妨げていたかわかるのだ。

そして、ビルにさえぎられた視線は、必然的に自分の内面を覗き込み始める。
都会にいると、人間はより内省的に、複雑になってくるのだ。

田舎にいると、生活があからさまなので、思考が内面に向かう必要はない。
田舎では、何も考えることがなく、何もする必要がない。
だから、田舎の人間は健康である。

東京を電車で30分離れるだけで、こんな肉体のエル・ドラドが僕らを待っている。