肉体の優劣と精神の優劣

人種にせよ性別にせよ、肉体能力の差は簡単に認めるのに、精神力や知力の差は絶対に認めない傾向があるが、なぜなのだろう。

おそらく根底に精神肉体の二元論があり、肉体より精神のほうを上に見ているからだろう。だから肉体の差は簡単に認めるが、精神の差はなかなか認められず、タブーとなる傾向がある。

肉体より精神のほうが偉い、という発想が根本的におかしい。
根底に肉体侮蔑がある。
肉体vs精神の二元論がまずおかしい。肉体と精神は実は同一のものであり、お互いに食い込み干渉しあう存在である。
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空白

「すべての芸術家は、人生の半ばの時期に、重大な精神的危機に直面する。
そして、数年間の何もしない空白の期間を過ごした後、新たなる創造の道に入る」
(ダニエル・レビンソン)

眼医者ゲーム

食器を漂白していたら、薄めた漂白剤が少し目に入った。
漂白剤の説明書きを読むと、
「失明の危険性があるので自覚症状がなくても即座に医師に相談しなさい」
と無茶苦茶なことが書いてあるので、驚いて眼医者に行ってしまった。

結果、漂白剤の影響はなし。
ついでに緑内障の検査もしてもらった。
小さなプラネタリウムのようなものを見せられて、「何か光ったらスイッチを押してください」と言われる。

時々星のようなものが煌めく。これを見落としたら緑内障と判定され、薬を飲まされてしまうので、懸命にスイッチを押し続けた。
ゲームみたいでなかなか面白いが、ものすごく神経を使う。わずか十分間なのだが。

結果、緑内障の心配もなかったようだ。

自己啓発と洗脳

前にも書いたが、「自己啓発」という概念は、根源的におかしい。


自己啓発という以上は、あくまで自分で自分を高めねばならない。
言うなれば、山に籠って一人で座禅を組んだり、滝に打たれて瞑想に耽るとかがそれだろう。


しかし、自己啓発書を読んだり、自己啓発セミナーに通っている人々は、あくまで「他人の」本を読んだり、「他人の」セミナーに通っているわけだ。
わざわざ自分で書いた本を読んだり、自分が開催したセミナーに客として参加して、勝手に啓発されている酔狂な者は、まずいまい。


これは正確には「他者啓発」と呼ぶべきであり、よりざっくりとした表現を使えば、「洗脳」ではないか。

つまり、自己啓発がどうのと喚いている人々は、自分の意志と他人の意志の区別がついていない人々なのである。

要するに、すでに頭脳が他者に乗っ取られているわけだ。


この時点で、「洗脳」はとっくに完了しているわけである。

歯医者の洒落っ気

先週の暴虐歯医者に行く。
今回から先生が変わったので、前回のように拷問を受けることはなかった。
しかし大学病院の歯医者って、どうも事務的で冷たいな。開業医のような商売っ気、洒落っ気、顧客に媚びたところがないのが悲しい。