『世界奇食大全 増補版』(ちくま文庫)が出ました

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『世界奇食大全 増補版』(ちくま文庫)が出ました。
文庫化にあたりパンカツ、トド、ソテツ、カメノテ、、イソギンチャク、ワラスボ、蘇、犬の八品目を追加しました。

ラクダのこぶ、サソリ、ウマのたてがみから、土のスープ、樹液、みかんご飯、甘口イチゴスパ、そして紙、蚊の目玉のスープまで。伝統食品あり幻の珍グルメあり。「奇食とは、人間世界の謎を開ける鍵なのだ」という著者の、悶絶必至、味の大冒険。人間の業の深さを実感する珍グルメ全集。文庫化にあたり、パンカツ、トド、イソギンチャク、蘇など8品を増補。全56品。解説 宮田珠己
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映画「ミッドサマー」

映画のミッドサマーを見た。ヒロインの子はけっこう好みかも。

しかしこれはホラー映画なのか。ストーリーはどうでもよく、儀式や教会などの細部の作り込みが重要という気がした。

ホラー映画は闇の中で行われるものが多いので、あえて終始白夜の中で撮ったのは新しいのかもしれない。

映画のレビューサイトを見ると、「最悪な映画」「絶対に見てはならない」「とにかく気持ち悪い」と、みなさん大絶賛のようだった。

自己決定権のこと

自己決定権について。
自己決定権という考え方の背後には、次のような前提がある。
「世界とは関係のない場所に確固たる〈自己〉なるものが存在する」
「その〈自己〉の下す決定は常に正しい」
「かりに決定が間違っていたとしても、その全責任を負うのは自分である」

しかし、その前提は正しいのだろうか。
もしこの前提がすべて通るなら、世界はとてつもなく苛烈で冷たい弱肉強食の世界になるだろう。

だから僕は、自己決定権なるものを無闇にもてはやすのには反対。よけいに人間は生きるのが苦しくなるし、かえって自由はなくなる。

もちろん「誰かに決定を委ねるのも自己決定権の一つだ」という主張も出て来るだろう。
しかしそんなものは詭弁であり、だとしたら自己決定権などはなんの意味もないということになる。

この世のすべてのことを自分で決めないといけないことになったら、ほとんどの人は発狂してしまうだろう。
僕らがまがいなりにも正気を保っていられるのは、誰かが勝手に僕らのことを決めてくれているからに他ならない。

ネギトロ丼VSたこ焼き

ネギトロ丼にはネギもトロも入っていないという話を聞いたが、本当だろうか。もともと「マグロの身をねぎ取る」という意味で、ネギもトロも関係ないらしい。最近のニュースで最もショックだ。

しかしこれには諸説あるらしい。言い訳かもしれない。
前に、テキヤから買ったタコ焼きにタコが入っていないので文句を言ったら、「タコ焼きはタコつぼのような入れ物で焼くからタコ焼きと言うのであって、もともとタコは入ってないよ」と言い訳されたという話を聞いたことがある。

セクシュアリティと神学論争

デミセクシュアル、リスロマンチック、デミロマンチック、ソフィアロマンチックとか新語を最近聞いたが、どこまで細分化するんだろう。

性的指向というものは、人間と同じ数だけある。つまり、今世界には80億の性的指向がある。
いや、一人の人間の中で性的指向が変わることも混在することもあるから、実際には800億くらいはあるだろう。これらをすべて把握して記憶するのは、人類には不可能だ。

つまり、細分化を重ねると、カテゴライズは無意味になるということ。
不思議の国のアリスだったか、完璧な地図を作ろうとするあまり、ついには町と同じ大きさの地図を作ってしまう話があったが、それに似てる。

よく考えると、カテゴライズ、つまり形を作って人をそこに押し込めることこそ、最も差別的だと言えなくもない。そのカテゴリーから必ず外れる人が出てくるからだ。そこに人を押し込めるには、必ず強制力という暴力が必要になる。

つまり、最終的には「私は私だ」と言うしかない。それが一番リベラルで民主的である。
しかしそれは、結局何も言ってないのと同じではないか。

現代のセクシュアリティ論議は、神学論争に近づいていると思う。どんどん抽象化し、無意味化し、非現実化している。

映画の評価の凋落

アマゾンプライムができてから、映画の見方が変わったと思う。タダで映画が見れるわけだから、ゲームでもやりながら映画を見て、内容がよくわからず、怒りの低評価レビューをアマゾンに書く、と言ったパターンが多いと思う。映画を作る人から見たらたまったものではないだろう。

自分で映画館に行ってお金を払うなら、もとを取りたくてそれなりに真面目に見る。損はしたくないから、無理矢理にでも感動しようとする。結果、まぁまあ良好な評価が集まる。

アマゾンプライムにはそれがない。結果的に酷評するレビューが集まる。アマプラの出現により、映画の評価や見方が変わったと思う。たぶん映画人にとっては嬉しくないだろう。

ダブルスタンダード

「ダブルスタンダード」というのは、相手の価値観が気に入らないときに使う非難の言葉である。たいていの場合、相手の中では整合性が取れている。それがたとえ「自分が気持ちよければいい」「男が悪い」であっても。

価値観は絶対にアップデートするな

最近よく言われる「価値観のアップデート」という価値観には反対する。アップデートした結果、よくなるという保証はどこにもない。根源には、大した根拠のない進歩的歴史観があるのだろう。

しかし、進歩的史観が正しいという保証はない。人間にとって、進歩的史観というのはもともと異常な思想であって、本来は退歩的歴史観が一般的であった。いわゆる「昔はよかった」というやつである。

旧約聖書にも「かつて人間は楽園にいたが、神の怒りに触れたために楽園から追放された」という話が出てくる。多くの人が「昔はよかった」と懐かしむのも、人間は文明とともに退化し堕落しているという観念から来ている。むしろ、こちらのほうが人間の心情として普通なのだ。

人間の非合理的な側面を見つめない「価値観のアップデート」は間違いなく失敗する。共産主義は人間の私有欲という本能を黙殺したために破滅した。

ザ・プロフェッショナル

遠藤ミチロウさんがあるインタビューで「ステージで恥ずかしいことをやるのは仕事だからですか」と聞かれて、「いや……仕事というより表現だから」と答えていたのに納得する。なんでも「仕事だから」で済まされる風潮には反対。

プロ根性なるものを必要以上に美化するのはおかしい。プロというのはそんなにえらいのか。

それを推し進めたら「金すらもらえたら中身はどうでもいい」ということになるのだから。

『世界奇食大全 増補版』の加筆について

『世界奇食大全 増補版』(ちくま文庫)は、文庫化にあたり、パンカツ、トド、ソテツ、カメノテ、、イソギンチャク、ワラスボ、蘇、犬の八品目を加筆しています。

この中で最も長いのが13ページある「犬」です。
ここでは、有名な中国や韓国の犬食だけではなく、スイスや日本の犬食についても書いています。
日本に犬食文化があったことはいろいろな文献から明らかで、もはや犬食は日本の伝統食ではないかという考察をしています。

また、
「ペットを食べてはいけないのか」
「なぜ日本のペットには食べ物の名前を付けることが多いのか」
「愛と食の秘められた関係とは」
といったテーマについても書いています。

実はこの「イヌ」だけで独立して本にできるくらいのテーマで、「奇食とは何か」「食べるということはどういうことか」という深淵に迫るテーマだと思っています。